12月7日㈰に、てらるくについての撮影をしていただきました。

スピーカーは、私「てらるくについて」、禅林院住職「お寺・仏教について」、石神さん「文化財からみた山梨の魅力」。インタビュアーもしてくださったカメラマンさんの質問に答えながら3人それぞれが自分の考えを話すという形式。
新鮮な機会でした。自分の考えが顕在化しました。
しかし振り返ると「もっとこういうことを言いたかったのに」「多分意味が伝わってないよなあ」「ちゃんと細かく伝えるべきだった」などと反省ばかりです。。。
ということで、こちらに書きます!
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わたしは「てらるくについて」質問に答えていったのですが、「お寺を繋いで歩く|てらるく」が始まった理由や、やっている意味について、話しているうちにやはり「繋がり」「境界線のない世界」が出てくる。
てらるくに限らず私が自発的に起こしている活動は、すべてそこに始点と終点がある。
話していると「ふわっとした」とか「ゆるい」とか、そんな一見ファンタジーみたいな言葉が出てきますが、チャレンジしていることは実に難しいことを知っています。
「繋がり」は、軸を決めてガッツリと繋がった方が、どんなに簡単で、明確で、どんなに強いものになるか。
でも私は、簡単を求めていないし、明確を求めていない。
強さは求めているかな、、、強固ではなくて柔軟で折れないという意味での強さを。

さて話は繋がりに戻りますね。
例えば「お寺」が好きな人の繋がりは、とことんお寺の軸に振り切って、お寺だけのことについて体験したり学んだりする。これはきっと強い繋がりや深い学びになるでしょう。
しかしそうなると、私のやる意味がなくなる。やりたいことではなくなるのです。
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ちょっと話は逸れて、かつ小難しくなるけど、私の中にはこんな裏のストーリーがあります。
人間は、多面的。
とても近しい何でも知っているように感じる人でも、知っているのはきっとごく一面のみで、しかもそれも合っているか分からない。
それは自分自身においてもそうだし、他人においてもそう。
わたしは、そんな不確かな人間が、自分を限定していることがもったいないと思っているのです。
ヨーガにも通ずることなのですが、自分はこうだ、あの人はこうだ、自分はダメだ、あの人はいいな、そんな風に自分やあの人を限定した空想の中で生きているのはもったいない。
空想の中で限定したり、比較したり、閉じこもったりするから、「苦」が生まれるんです。
「自分を知っている」と思うから苦しみが生まれる。
では「てらるく」でチャレンジしていることは何なのか。
ひとことでいうと、環境(マインド)を変化させるきっかけつくり。
そこから広がる、境界線のはっきりしないゆるい繋がりです。
どういうことか。
てらるくも多面体です。まだ目標段階かもしれませんが、一分野に偏らず多様な活動や関係者を織り込むことで、ルートも無理のないペースで増やし、ルートごとに多面体を作っていきたいと考えています。
その多面体の一面が、誰かがフィットしたとします。
例えば「お寺好き」という一面。
てらるくの他面には「歩く」「外の空気に触れる」「人と対話する」「歴史を学ぶ」「みんなでご飯を食べる」「運動する」こんな面がくっついてきます。
お寺は好きだけど、運動が苦手で、家の中で過ごすことが多い。人と会話することはむしろ苦手です。…...こんな人がいるとしたら、この人はてらるくに参加することで、最初は乗り気ではないにしろ、いろんなこれまで触れずに来たことに触れることになります。
そこに集まるいろんな人にも触れます。
大げさかもしれませんが「新しい扉が開く」きっかけとでも言えるのかな。
そうやって、多様な活動を織り込むことで、新しい扉を開くきっかけになってくれたらいいなって思っています。
過去の参加者さんにも
「ヨーガなんて聞いたこともなかったけど、てらるくでやってみて良かったから、毎日YouTube見てやってるよ」とか
「歩くことが不安だったけれど、練習して毎日歩いてるんです」とか
「近所に畑があることを知って、これからいろんなことを手伝いに行こうと思う」とか、そんなお話も聞きます。
でも、
扉を開いてみたけどあまり好きじゃなかった、それはそれで良いんです。
さまざまな扉を開く、それがどういう意味を持つのか。
想像してみてください。
「これが自分です」と限定していた自分の境界にある、さまざまな扉が開いていくと、
自分が少し自由になる。
扉の外に新しい世界が広がっていることに気づく。
「私」という境界線がゆるんでいく気がしませんか?
大げさかもしれないけれど、数々マインドの勉強をしてきた中で、
自分らしさに蓋をして閉じ込めている老若男女(これは年齢関係ないんです)が、机の上のお勉強では、他者から誘導されたマインドの持っていき方では、自分の境界線をゆるめることは至難の業です。
もっと自分を苦しめることにもなりかねない。

環境を変えること。
しかもそんなつもりがなく、うっかりと。
それくらい構えない無意識に近い状態で。少しづつ環境が変わる。
環境は人を作ります。
「てらるく」は環境を変えるきっかけをつくるような活動になったらいいなと思っています。
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その先にある終点。
てらるくは「ゆるい繋がり」を取り戻すことを目的としています。
どんなことがあっても、誰に会っても、安心できるのはとても大切なことです。
「自分」という境界がゆるければ、準備は出来ているんですけどね。
そしてもうひとつ。
私は、繋がりは強制的なものであってほしくない、と小さな頃からず――-――――――っと思っています。
繋がりは自由でしょ?
組織や、肩書や、枠組みの中で、しっかりの確保された繋がりには、魅力を感じることができず、むしろ強制力や心理的束縛を感じます。
そういう繋がりを育みたいんじゃない。
てらるくも、私のヨーガの教室の生徒さんも、
興味がピンと沸いた時、行きたい!と思った時、会いたいと気持ちが動いた時、
どこにも強制力を感じずに自発的に参加をしてくれる。
繋がりは、繋がりたいから繋がる、繋がりたい時に繋がる、繋がることにオープンである、さよならしたい時は笑顔でサヨナラする、また繋がりたい時に笑顔で繋がる。
有機的な繋がりですね!
そんな繋がりを「ゆるい繋がり」と言っています。
でも本当の繋がりだって、思うんだけどなーーー。
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そんなやり方で人を集めたいと思っているものだから(多くの方に扉を開けてほしいから)、実現するためには、受け入れ側の「柔軟性」と「能力」「底力」が底なしに必要であることは自覚しています。
なのでよく私は、仲間に、無茶ぶりをされるって言われるんじゃないかなぁ。
私がずっとそういう仕事・活動の仕方をしてきたからって、他の人が対応できるかっていたら、そんな訳はないもんね。
特にキチキチっと計画立てて動くタイプの人は、ごめんなさい。
とある風が吹いたら、その風になびいてみる、風を心地よく感じる動きをしてみる、そんな生き方をしているものだから、仕事の仕方にもそれが出ます。ごめんなさい。
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「無茶ぶりされる」って言われすぎるもんだから、身の引き方を考えたり、仲間の本心を大切にしたいな、と思う最近だったので、最後はこんな言葉が出てきてしまいました。
長い文章を読んでくださり、ありがとうございました!
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